トネリコの憂鬱

つつましやかに暮らしを綴る。好きなものを語る。時々、毒も吐く。地方住みアラサーの日々。映画と漫画がないと生きられない人生。

二次創作とわたし

 

 夕方、散歩をしながら、ここ数年の自分の趣味についてあれこれ考えていた。

自分の人生において大きな意味と夢を持ち、心の拠り所にもなっている映画鑑賞やマンガを読んだりするのは相変わらず大好きだけど、二次創作活動がずいぶん長らくストップしてしまっている。今のわたしは供給側ではなく、いわゆるROM専というやつだ(ちなみに自分はCP勢。作品によって好みは多々ありますが…BL、NL、GLすべて美味しくいけるので)

10代~20代前半の一定期間、私は同人活動に夢中だった。下手なりにも、絵や文章を描くのが好きだったから。自分の推しの作品のイラストや同人マンガを描き、ラミカやペーパーづくり(こう改めて書き綴るとものすごく懐かしい気持ちになった。似たような趣味や世代の人ならきっと分かっていただけるでしょうが…)そんなにページ数は多くないけれど、同人CPのコピ本も数冊ほど製作した。鉛筆やペン類など文房具系を持ちすぎて、右手中指にできた大きなペンだこは未だに治らない。ほかにも、サイトで同人小説を投稿したりもした。あ、用語がちんぷんかんぷんな人は、気力があればググってみてくださいね。

ある時は自分ひとりで、またはある時はオタ友Rと合同で地元の同人誌即売会(以下、イベントと称します)でサークル参加をしたこともあった。RとのBLEACHのイチルキコピ本製作、ほんとに楽しかったなぁ(ちなみにこの子は高校時代からの付き合いで、アラサーになった今でも時々連絡を取り合っている大切な友人だ)。人気のサークルさんの売り上げには敵わなくとも、それでもイベントに参加するたびに自分が創ったコピ本やグッズを買ってくださった方々がいたのは、とても感謝している。好き、という一心で創ったそれらのものは今でも自分にとっての宝物だから、大切に保管してある。


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 …同人活動欲の低下。少し前まで、それは自分にとって由々しき事態だった。

どうして今のわたしは描けなく(or書けなく)なってしまったんだろう。あんなに夢中で、不器用ながらにも楽しく、苦しさのなかにも達成感があって、あれは確かな情熱だった。それが今じゃ、まるで体たらくな抜け殻だ。こんなはずじゃなかった。

日々仕事で疲れているから?飽きてしまったから?自分の能力に限界を感じたから?自分が表現しなくたって、世の中を見渡せば他に上手いひとはたくさんいるし、上にはもっと上がいるのを知ってしまったから? なんで、どうして。わたしの情熱は死んでしまったんだろうか?こんな自分が嫌だ。モチベーションを保ち、長く”好き”を継続できている人が本当に羨ましくて、とても眩しい。わたしもそんなふうでいたいのに。こんなことをブログで愚痴ってる時点でダメダメなのかもしれないけれど。

何かを表現できないのなら、もう生きてる意味なんてないとさえ思った。


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 だけど、今ではこうも考える。

音楽も芸術も二次創作も、何かを生み出すのってある種の”衝動”が必要で、無理にやろうと思ってできることじゃない。創作するのが生業ならまだしも、わたしにとって二次創作はあくまで趣味の範囲で、人生を彩る生きがいの一部だ。自分は絵も文章も中途半端で、才能なんかもともとなかったんだって、そんなのはとっくに分かってる。それを認めてしまうのは怖かったけど、描けないor書けない自分をいつまでも責めたって良いことないって、最近になってようやく自分のなかで自分の脆い部分について認められるようになってきた。

 時間は常に流れてゆくもの。この世界はとても広いから、できる限り色々なことに挑戦してみて、なるべく多角的な視野で物事を見られる人間になりたいなって思う。そして”衝動”は再び訪れてくれるんだろうか?先のことは分からない。二次創作をしなくたって生きていけるのかもしれない。すっぱり諦めて離れたほうがいっそのこと楽かもな、なんて何度考えたことか。それでも、やっぱり二次創作をする人生のほうが楽しいって頭の片隅で本能が言っているのはどうしても変えられないような気がする。この複雑な感情はまだわたしのなかで燻ぶり続けそうだ。