トネリコの憂鬱

つつましやかに暮らしを綴る。好きなものを語る。時々、毒も吐く。地方住みアラサーの日々。映画と漫画がないと生きられない人生。

過ぎ去った日々

 

 秋は四季でいちばん好きだけど、言いようのない虚しさに胸がきゅっとなるような瞬間がある。

日照時間が短くなって肌寒くなるものだから、いやにセンチメンタルになって、情緒不安定さが加速していく。


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 3年前の今頃、当時付き合っていた恋人と別れたばかりで、苦しい想いのなかにいた。

 

 

 

 ふたりはどこか、根本的な部分が似ていたように思う。元彼との日々は刺激的で楽しく、こんなふうな生き方もできるのか…って気付かされることが多くて、新しい感情をたくさん知った。「ずっと一緒にいたいね」なんて何の保証もない、儚い言葉をお互い伝えあったりもした。

恋愛そのものの素晴らしさを教えてくれたのは彼だった。それと同時に、あのひとの生き方や夢や理念に対して強烈な憧れと、自分でも認めざるおえない、仄暗い嫉妬のような複雑な感情さえも抱いてしまった(これについては長くなるから細かい部分は省くけれど

大好きで、心から応援したくて、そばにいたいのに……自分がどんなに欲していても届かないものをそのひとは持っていて、ふんだんに活かしていて。その状況は当時の私にとっては相当な、葛藤だった。それは今思えば、ある一種の欲ばりだったのかもしれない。あんな幼い感情を誰かに話したら笑われてしまうだろうから、このブログでしか綴れないけどね。

 付き合いはじめて時間が経つにつれ、少しずつ互いに傷つけあって、ふたりの溝が深くなった。他にも、別離を選んだ要因は色々とある。あのひとの態度、自分の心の狭さ…両方に非があり、現実的な問題や気持ちが擦れ違い、不安ばかりのつきまとう恋に変わっていった。もう心が、耐えられそうになかった。そして彼と話し合い、お別れした。別々の道を歩もうと。

初めてできた彼氏だったから、あまり余裕がなく変な方向に焦っていたせいで、こちらにも至らないところはたくさんあったし、友達にも心配させてしまった(愚痴や泣き言を聞かせてしまい、とても申し訳ないことをした。友達にはとても感謝している。大切で、大好きな友達…。友達がつらい思いをしているときは私もなるべく支えになってあげたい

 いい思い出もつらい思い出も同じくらいあったけど、お互い想いあえていたのは紛れもない事実だから、絶対に後悔はしていない。かといって、元彼との交際での様々な出来事を美談ばかりにはしたくないし、元彼の存在と自分自身の感情を赦せるまでにはずいぶんと時間がかかった。

 

 …あの失恋を経験して、分かったこと。

 私には、どっぷりと溺れるような恋はたぶん向いていない。恋にのめりこみすぎると、身も心もずぶずぶとぬかるみに嵌ってしまい、不健康になってしまう。大好きなひとはいても、他にもあれこれ情熱を向けつつ(この情熱というのは趣味だったり、知的好奇心だったり、行きたい場所へ赴いたりだとか、そういう類のね)…日々に少しの刺激を求めながらも、現状を見据えられる多少の冷静さを持ち合わせながら、穏やかに過ごすことができるほうが私らしくいられるからだ。

 

 そうして、失恋の痛みを癒すには、”時間の経過”だけが唯一の特効薬だった。

もう、これしかなかった。失恋したあと、彼の人生に今後一切関われないんだと思ったら、苦しくて悔しくてかなしくて絶望で胸が満ちて、ほんとにこの涙はどこから発生してるのか不思議になるくらいに、涙がいっぱい溢れて止まらなかった。人混みのなかに、漠然と彼の姿を探してしまう。大切なひとにもう二度と会うことができない現実にとても耐えられなかった。

仕事中、暇になった時にふいに彼を思い出してはしんどくなって、いつになったらこんなつらい想いから解放されるんだと心のなかで叫び、トイレに駆けこんではひとり静かに泣いてしまうことさえもあった。…だって、大好きな気持ちは、共有した時間は、記憶は、そう簡単には消えてはくれないもの。

どろどろとした感情に呑みこまれ、涙が枯れるほど泣き、引きずりながら、時には「もう一度やり直せないだろうか」だなんて考えが頭をよぎり、だけど「違う、寂しさのあまりまた一緒になったとしてもきっと同じことを繰り返すだけ…!だから振り向いちゃいけない…あのひとのためにも、自分のためにも」と言い聞かせては、彼のことを考えなくていいようにひたすら他のことで気を紛らわせたりして、なんとか毎日をやり過ごすので精一杯だった。

 そうしてあれから、3年も経つ。あの頃の記憶は、現実だったのにまるで長い夢をみていたかのような少しの切なさとほろ苦さを伴って、私の心の片隅の小箱のなかに仕舞ってある。

 

 この世に完璧な人なんか存在しない。

人それぞれ欠点があったとしても、どうにかお互いの足りない部分を補いつつ、時には反発したり喧嘩したり不器用だったとしても助け合ったり、和解したり、そうした時間を積み重ねて共有しながら、くっついたり離れたり、つまづきながらもどうにかこうにかして歩んでいくしかなくて。

 

…なんてことを書きながらも、まるでそんなものは上辺だけの、ただの都合のいい綺麗事なんじゃないか?愛することも思いやりも人間のエゴで、そこに意味なんてあるんだろうか、なんて心のどこかでいくら悩んでも解決しないことを考え、長く終わらない道のりに諦めに似た感情を抱いては、まとまらない思考と言葉が頭のなかをぐるぐるとして、どうしようもなく立ちすくんでしまうこともある。

 それでも今、私がこうして生きていられるのはあの頃の自分よりも確実に前へ進めているからだって、そう信じたい。歩めているのが一歩なのか十歩なのか分からないし、自信がないのは相変わらずだけどね。

 

 たまに、もう関わらなくなってしまった人達のことをふっと思い出したりする。

彼女らは、彼らは今頃どうしているだろうか、と。もう二度と会えないひともいるだろうし、縁があれば再び出会えることもあるかもしれない。どんなふうに過ごしているかは全然知らないけれど、どこまでも続く同じ空の下で、自分らしく生きていてくれたらそれでいい。

 

…今年も、もうじき冬がくる。過ぎ去ったこれまでの日々は粉雪みたいに、ふわりふわりと舞い落ちては心の地面に溶けていくんだろう。